スクエニと鋼の錬金術師と荒川弘・初音ミク!

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    鋼関係なく私の震災・原発もやもや吐き出し。すげー吐き出しな自分語り。

    3.11ですね。
    私的にはとても早かったなー早かったなー2回言っちゃうくらい早かったです。

    ちょうど一年前のあの日の午前中、私は新幹線を使って広島に帰っていました。
    東京に「一旗上げるまで帰らんけぇの!」と飛び出して、約10年。
    そういう意味で、普通の帰郷とはちょっと違う意味を持っていました。

    一方、関東に出てきて約10年。
    いまや東京は私のもうひとつの故郷であります。


    広島に帰って、旧友と、思い出の宮島でもみじ饅頭ウマー(゚д゚)とやっている時。
    母から電話がありました。「東北が大変なことになってる!」

    東京の会社からは悲鳴のようなメールがたくさん来るし。
    まさか広島にいながら、東日本のことが気になって仕方がないことになるとは。
    出発する時どうして想像できようか。


    母方の実家は、宮城県にあります。
    震災で被害をうけた仙台空港のある市です。
    (祖母の家は直接的被害は免れ、近しい親戚はみな無事でした)

    私はその関係で、宮城県仙台市で生まれました。
    その後秋田などに流れた後、7つまでを福島県で過ごしました。
    三つ子の魂百までと言いますけど、福島のことはよく覚えています。

    冬は寒いけど、山や川がキレイで、猪苗代湖は楽しい。
    また鍋やご当地スイーツが最高で、とてもうつくしい場所です。
    東北・・・特に、宮城や福島は、私にとって広島、東京と並んで、大事な私のふるさとです。

    その福島が今や「フクシマ」となってしまいました。

    なぜ、どうしてだろうと。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
    同時に、今までの自分のエネルギーに関する無関心さを呪いました。



    広島、特に私のいた沿岸部は、瀬戸内海という穏やかな内海と、緩やかな山に囲まれ、豪雨や豪雪、地震も少なく、自然災害への関心が非常に薄い地域です。
    約10年前、震度6の地震に中国地方が襲われた時には、それはもうびっくりしたものです。
    みんなどうしたらいいか右往左往しました。

    例えば、中部関東地方は、小中学校の時に防災頭巾を椅子の背もたれに用意してあったりするじゃないですか?
    あんなの考えられなかったもの。恥ずかしい話私こっちくるまで9月1日が防災の日であることも知りませんでした。

    反面、東北地方は違います。
    元々地震が多い場所であること。過去何度も津波の被害に涙を流してきたことが、ちゃんと教訓として、街に活きていたと思います。少なくとも私の知る限りでは。

    ウチ母一族家訓の一つが「増水に備える為に、家を建てるときは必ず盛土をしろ」で、実際母実家は、数十センチの盛土をした上に家を建てていました。
    正確に言うと、津波じゃなくて、豪雨による水害に備えてるんですけど、そんな風に災害の多い地域であって、そのため、意識も高かったと思います。

    なにより、テレビでも何度も映った、世界一と言ってもいいくらいの防潮堤が各地にありました。

    ・・・あった、はずなんだ。


    それなのに、どうしてなんだろう。
    1年前の夜、ホテルでテレビを見ながら、ほんと、意味がわからなかったよ。
    あれだけ津波対策を施してなお、どうしてその場所が火の海になっているのか。

    数日後、東北のある防潮堤を作った博士だか設計士だかがテレビに出て言っていました。

    「世界一の防潮堤をつくったつもりだった。
    これで町を津波から守れると思っていた。
    愕然とした。まさかこんなことになるなんて。
    甘かった。本当に甘かった。」

    しばらく無言になって。でもテレビだから何か言わないといけなくて。
    搾り出すようにおっしゃっていた。

    「・・・今は自分の作った防潮堤が1秒でも津波の到達を遅らせたと信じたい。それでひとりでも救われた人がいると、信じたいです・・・」

    設計者はそんなことを言って涙ぐんでいました。
    なんて悲しい言葉だろう。
    一連の発言は、私が3.11震災関連の記述で最も心に残っている言葉です。


    日本は・・・日本だけじゃないけど・・・昔から多くの自然災害にあってきました。
    その度に復興して乗り越えて。その教訓も受けつがれていたはずなのに。
    いつの間に、それを忘れてしまったのか。
    地震があっても「あ、また揺れてる」程度で。エネルギーがあることが当たり前で。

    こう言ったら誤解も生みそうだけど、原発事故のこと、私は東電が悪いとは思っていません。
    (対応もろもろに問題があったことは否定しないけど)

    震災前、原発NOと唱えていた人がこの日本にどれだけいただろう。原発問題を「問題」と認識していた人がいったいどれだけ。
    原発のあった市町村も、その恩恵をかなり受けていたはず。
    それで表面上だけでも日本はうまく回っていて、それが当たり前で、だから無関心だった。


    その無関心さがいけなかった。
    津波の被害が、甘かった認識のせいで防げなかったというならば、原発事故もまた、ひとりひとりの国民の甘さが招いたことだろうと私は思っています。
    自然も技術も、無条件に人の味方だなんて、何を根拠にそう思っていたんだろう。
    今となっては、それももう思い出せないほど、打ちのめされてしまいました。



    夏にあったダッシュ村の特番を見ました。
    10年以上コツコツと創り上げてきた物がだめになってしまいました。
    その姿にも泣いたけど、ひまわりの花に除染効果があるかもしれないという実験に唖然としました。

    こんなに滑稽なことがあるのかと。
    人間の最先端・・・最先端すぎて手にあまった技術が引き起こした出来事を、「ひまわりが咲く」という最も原始的な方法・・「自然」が解決するかもしれない、なんて。
    これを滑稽と言わずに何を滑稽というのか。


    自然は偉大で美しく、それから、無慈悲で恐ろしい。
    だけど、人間の手なんかで振りほどくことなど決してできない。
    恐ろしさを抱えながら、私たちは生きていかなきゃいけない。
    同時に。
    そんな自然に対向できる唯一の方法も、私たちは持っているのかなってちょっとだけ思う。
    いわゆる「絆」がそれに値するのかもしれないと。

    まだ1年、もう1年、どちらにしても節目の日です。
    人によっては、大事な人の一回忌でしょう。

    同時に、日々の通過点でもあります。
    これからも被災地は支援が必要で、多くの人が気をつけてる。
    私もそのひとりです。これからも当分は。

    お亡くなりになられた方々ご冥福お祈りいたします。

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