スクエニと鋼の錬金術師と荒川弘・初音ミク!

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  • この記事から、パソコンを変えました。打ちにくいったらありゃしねー(苦笑)
    さらに誤字脱字率がアップすると思いますが、まぁ、何を今更ということで許して。
    (何人かお気づきかと思いますが、ウチのブログの誤字脱字率はんぱないのですよー←なぜなら見つけても直さないから(爆))


    さて、今日はちょっと鋼のまとめ的ことを語ってみる。
    鋼って、一体何の話だったのだろうってこと。
    最終回の感想を多く語らず、最初からクライマックス、みたいでごめんなさい。

    だって、最終回を読み終わったとき、最終回そのものの話より、どうしても、これまで全部のことが頭をよぎったの。私は、最終回を通して、鋼全体を見てたのかもしれない。

    というわけで、鋼のテーマその2を考えてみた。
    その2ってつくのは、今まで散々「絆」だって書いてたから。
    「絆」の大切さは鋼が一貫して描いてきたこと。テーマのひとつであると思う。
    今回は、それを踏まえて、もうひとつ考えてみた。

    私が鋼のテーマがなんだってことに拘るのは、よく鋼の記事で「鋼は命の大切さをー」なんて書かれていて、いつもちょっとだけひっかかるから。
    確かに鋼はいのちだいじに、も書いている。失った命は取り返せないとか、戦争いくない、とか。

    (ついでにガンガン行こうぜも描いてると思うし、おれにまかせろも描いてるし、バッチリがんばれも、最後にいたっては、じゅもんつかうなも描いてた、さすがエニックスの申し子。笑)

    確かにそれも重要なテーマで、荒川さんがこの話を描こうと思った「とっかかり」はそこにある。

    だけど、結果的にマンガとして連載された鋼の「そういうの」ってみてくれにとどまったと思うんだ。
    いのちだいじに? 戦争いくない? うんん、鋼が描こうとしているのはそこじゃない。
    もっと右斜め上を突いているよ、と、私はずーっと思っていました。


    きっかけは、ついった。ある日どこかの誰かのステキな呟きを目にしました。

    「アルもエドも諦めずによくがんばった。今までの経験がかれらをたくましく育ててくれた。リンの皇帝姿にも涙。みんな立派だよ!」

    アルもエドも諦めずによくがんばった、この純粋な言葉に、ハッとしました。

    最終回ー!!って盛り上がって、色んな思いが湧き上がって、扉の中に飛び込んだみたいに色んなことが流れ込んできて、ものっそい、大きくて、基本的なことが抜けていたような気がしました。

    「アルもエドも諦めずによくがんばった」・・って思い。彼らの成長。
    うん、これが、鋼最大のテーマであり、荒川さんの思いの集約であると思うんだ。たぶん「絆」もそれに付随する形で描かれて来たのだと思う。


    この世界で9年間、エドとアルには本当に色んなことがありました。
    (代理が)泣いたり、叫んだり、殴ったり、法律犯したり、命懸けたり、だましたり、だまされたり、落ち込んだり、窮地に陥ったり、無くしたり、亡くしたり・・・
    本当に辛い事がたくさんありました。
    楽しいこと、嬉しいことももちろんあったけれど、辛いことのが多かった印象です。

    時に、血がにじむほど、拳を握り、唇を噛んだ。
    だけど、彼らは負けなかった。
    どんな時も、前を向いて、乗り越えようとふんばった。いかなるときも諦めず、前進してきた。
    たとえそれが亀の子の歩みだとしても。

    私たち読者は、そんな彼らの姿に心打たれてきました。
    彼らの前向きな姿に、元気をもらった読者はたくさんいると思います。

    特に、物語を純粋に受け止める、子どもたちに多かったと思うの。
    そして、鋼の物語は、そんな年齢の子ども達へのお話でありました。

    彼らが「こなくそ」と言いながら立ち向かう姿を、少年少女はどう思っていただろう。
    彼らがどんな絶望と思えるような闇の中でも、光を求め、時に自ら灯らせる姿を、どう感じていただろう。
    ・・・そして、最後、幸せになった彼らをどんな風に見つめていただろう。


    マンガを読む子ども達は、毎日楽しく暮らしてる。・・・そんなことないよね。
    彼らにも、きっと日々色んな悩みがある。時に落ち込む。
    そんなときに傍らに鋼が。
    エドやアルに共感し、自分を重ね合わせ、エドやアルががんばっている。自分もがんばろう。
    そう思う子も多かっただろうし、実際そのようなお便りが読まれたことがありました。

    そして、そんな風に頑張った鋼の住人達が幸せになる。
    鋼を読んで勇気付けられた子ども達に、それがどれだけまぶしく映ったことか、想像にかたくないです。

    痛みを伴わない教訓には意義がない。
    人は何かの犠牲なしに何も得る事など出来ないのだから。


    から始まる鋼の最後のモノローグ<鋼で言いたかったコト>に疑問をぶつけている人がいました。

    無償の愛を描いたのに、次の瞬間にそれを否定しているのはどういうことか、と。
    結局何かを差し出さなきゃ、何も得られないって結論?


    だけど、私は「痛みを伴わない教訓には意義がないー・・・」は、無償の愛とは別次元の話であると思うのです。

    ここで言う、痛みを伴わないー・・・の「痛み」や「犠牲」は、代価の為の痛みじゃない。
    どうにも抱え込んでいる、また、抱え込んでしまっている、元々そこにあるもの指してるのではないのかと。
    一見エドアルの苦しんできた月日のように見えて、実は今、辛いことに直面している読者の辛さを指しているのではないのかと。


    痛みを伴わない教訓には意義がない、は本当は逆説なんだと思うの。
    あなたのその痛みは、教訓になるだろう。っていう。

    今、たくさんの痛みを抱えている読者に、荒川さんは伝えたかった。
    今辛くても負けないで。あきらめないで。
    だって、その痛みは、無駄じゃない。
    その痛みに耐え乗り越えた時、あなたはひとつ強くなれる。
    エドやアルのように、幸せになれる。
    立って歩け、前に進め。あなたには立派な足・・・仲間が、いるんだよ。今、たとえあなたが気づいていなくても、ネ!

    ・・・鋼の読者に荒川さんが伝えたかったことって、このことじゃあないのかしら?


    それからもうひとつ大事なこと。
    最後、エドの前に提示された様々な愛は、本当に無償だったのかな。
    答えは「NO」であると思います。

    いつぞやの夢小説あとがきで書いたけれど、どうして、エドの周りにはこんないいやつらが集まっているんでしょう。
    偶然? 運がいい? いいや違うね。
    それは、エドもまた、人に対して限りなく誠実であったから。
    その誠実さの照り返しとして、みんなの声援があったんじゃないかな。

    と、過去の自分の語りを転載してみる。

    「情けは人の為ならず」という言葉があります。
    これは、「情けをかけるのはやめなさい」という意味ではなく、「情けを他人に掛けることは、その人のためではなく、それが巡り巡って、やがて自分にかえってくるもの。だから、人には親切にせよ。」という教訓です。

    鋼でのイズミの教え・・・世界の循環は、真新しいものではありません。自然界の法則として、また、心の教訓として、昔々から言われてきたことです。
    だけど、近年それが薄れてしまった。「情けは人のー」の意味が誤用されるようになったのも近年だといいます。悲しいのは誤用そのものではなく、この言葉の誤用がまかり通るような世の中になった、ということ。

    鋼を読んでいていつも思うのは、エドって色んな人に愛されて、幸せもんだぜ、ってことだったりします。
    どうして、彼の回りの人間は、あんなにイイやつばかりなのか。
    それは、エドもまた、人に限りなく優しい人間だからだと私は思うわけで。

    正直な人間はバカを見る、そんな風潮が漂う現代ですが、でも、私は信じたい。今は、バカを見ようとも、まっすぐ、優しく、頑張る人間は、最後は必ず幸せになると。
    たとえどんな大きな罪を背負っていても、エルリック兄弟には、この世の誰よりも、幸せになってもらいたい。そう願ってやみません。
    (2005年10月の夢小説あとがき)


    私はずっと、鋼は そういう 物語だと思ってきました。最終回を迎えた今でも変っていません。
    鋼は、正直に生きることへのエールの物語。
    今、めげそうになっている人への、エールの物語。
    精一杯の、生への応援歌。

    ・・・私は、そこに荒川弘の読者への無償の愛を感じているんですけど、どうでしょうか。




    鋼に、人生が変るほど影響を受けたという少年少女たちがいます。
    そんな子にとって鋼は、これからも、行く先を照らす灯りであり、身体を暖める焔であり、時に鋭い刃であるでしょう。
    そして、鋼から受け取った「10」の事柄を「11」にして贈り出してくれると信じています。

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